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| 「ああ、どうしたものであろう。誉津別(ほんずわけ)は既に三十歳を越したというのに……。せっかくの一人息子であるが、これでは皇位も譲れぬではないか」 |
| と、垂仁天皇は天を仰いで溜息をつくのであった。 |
| 折りから春らんまんの頃というのに、天皇と皇后の胸の内には暗雲がたれこめていた。いやこれは今にはじまったことではなく、ここ数年というもの、天皇皇后の困惑の種であった。 |
| 垂仁天皇は神武天皇より十一代目になるが、どうした因果の巡り合わせか、ただ一人の皇太子である誉津別王は三十歳を二つ三つ出たというのに未だ口がきけず知恵もいささか遅れているかに思われるのであった。しかしこんな真相を公に出来るわけがなく、一層天皇は悩んでいた。 |
| そんなある日のこと、春の陽の当たる縁側で、大きな体の誉津別王がまるで幼児のような仕草で遊んでいるのであった。南からやって来たものか、或いはこれから北へ向かうのか、渡り鳥が群れをなして渡って行く。その中に、体は真っ白で翼の黒い一際立派な鳥の群が目に付いた。それはコウノ鳥である。 |
| コウノ鳥の群は高い声で鳴きながら何回も何回も御殿の上を舞っているのであった。 |
| 誉津別王はそれを見て何事か叫んだ。父、天皇はたまたまこれを見付け、我が耳を疑いつつも喜びの声をはずませた。 |
| 「おお、誉津別よ。今何と申したのじゃ」 |
| と聞いた。 |
| だが誉津別は、コウノ鳥が飛び去ってしまうと元通り口をきかなくなってしまった。が、それからはコウノ鳥が鳴く度に誉津別は嬉しそうに叫ぶのであった。 |
| しかし、それは何と言っているものか? |
| 父、天皇は……しかしこの状態が続けばそのうち誉津別もしっかりとした者になろう。なればあの鳥を捕らえられるといいのじゃな……と、考えた。 |
| 「ほう、誉津別はコウノ鳥がいたく気に入ったようじゃな。なら、あの鳥を捕らえてつかわそうぞ、もちろん全部欲しいところであるが……」 |
| 天皇は家来の中に、身分は低いが、すごく足の早い人がいることを知っていた。それは天湯河板挙命(あめのゆかわぞなのみこと)といい、なにしろ馬よりも早いと他人も認めている程の者である。 |
| 「天湯河板挙、至急そなたに頼みがあるのじゃ。誉津別の為に是非供コウノ鳥を捕らえてもらいたいのじゃが、出来るかな」 |
| と天皇は言った。 |
| 身分の低いこの自分に天皇から直々の頼みである。天湯河板挙命は感激すると共に、胸を叩いてお引き受けした。 |
| 「はい。必ずご期待に添うべく相務めまする。なにとぞご安心を」 |
| と畏まってお応えした。 |
| 「では頼みおくぞ。ところでな出来る限り何羽も欲しいのじゃが……いや無理は言うまい。一羽でも構わぬ故……」 |
| 天皇の声を背に聞いて天湯河板挙命はコウノ鳥を追って駆け出した。 |
| が、いつも後一息と言う所で逃げられるのであった。……わしは走ることに掛けては何者にもひけはとらんがよ……なにぶん相手は鳥じゃでな、手が届きはせんわい。何か良い方法はないものか。とあれこれ考えた末、やっと良い考えが浮かんだ。 |
| 「そうじゃ、わしは山国育ちで見たこともないが、なんでも浜辺というと木一本も無い広い広い所らしい。そこへ追い込んでやろう。そんならいつか疲れて浜へ下りるに違いない。なればわしの足では訳のないこと。ところで浜辺はどこにあるのじゃろ……。とにかくコウノ鳥を追いかけるしか無かろうて……」 |
| そう気づいた天湯河板挙命、コウノ鳥を追って尚も走りに走っていた。 |
| 夜を日に継いで走り続け、どれ程たったことか天湯河板挙の眼前に青海原が広がっていた。……ああこれが海と言うものか。 |
| それは日本海であったが、命には知る由もなかった。ただその海岸を走り続けていた。 |
| どれ程走り続けたことか。さすがの命も疲れ切っていた。やがてコウノ鳥も疲れ果てたのか天湯河板挙命のすぐ側に舞い降りてきた。いや、落ちてきた。 |
| 「どうかお助け下さいませ。私たちは何も悪いことをした覚えがございません」 |
| とコウノ鳥は言うのであった。天湯河板挙命はコウノ鳥に、 |
| 「いやいや、そうではない。是非そなたたちにたのみがあるのじゃ」 |
| と訳を話した。 |
| 天湯河板挙命はコウノ鳥に因果を言いふくめ、雄と雌の二羽を大和の都へ連れかえった。 |
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| さて、誉津別王は大喜びで毎日コウノ鳥と遊んでいたが、そのうち満足に口がきけるようになり、ほぼまともな知恵も付いたようであった。 |
| 天皇は胸をなで下ろし、 |
| 「誉津別もこれまでになれば、やがて安心して朕の位を譲ることも出来よう。これもコウノ鳥のお陰よ。いや、天湯河板挙がおらねば叶いはしなかったことじゃ。彼には十分褒美をとらさねば」 |
| と考えた。それまでは極低い位であった天湯河板挙命に『鳥取造』(とっとりのやっこ)という姓と、あわせて和泉の国の南部の一地方を与えた。 |
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| 天湯河板挙命にとって、和泉の国のそのような土地にはほとんど馴染みが無いが、初めて我が領地を与えられたのである。 |
| そんな訳で大いに感激した。 |
| 「天湯河板挙よ、その方に遣わす和泉の地はこの大和の都のごとく開けた土地ではあるまいがあのコウノ鳥を捕らえた根気で、必ず当地に劣らん楽土を築いて貰いたい。いやいつの日にかその大和より発展する地と朕は信じておるのじゃ」 |
| と天皇に励まされ、天湯河板挙命は一族郎党を引き連れて、和泉の国へ向かった。 |
| そして、先ず住み着いたところは、畑村(はたむら)であった。 |
| 畑村というのは現在の桑原である。 |
| 現在でも尚片田舎のイメージの残る土地であるから、天湯河板挙命が入った当時はどのような状態であったものか?……おそらく苦しい開拓の日々であったろう。 |
| その苦しい中でも、深く先祖に感謝し、鳥取造の祖神である角疑命(つのこりのみこと)を祭った。 |
| これが波太神社の起こりであるらしい。 |
| 波太とは、起源が畑村であるのでそう名付けられたものと思われる。 |
| そして畑村はあまりにもへんぴな土地柄なので、段々と村が海岸の方へと広がって行き、東鳥取村(町)となり、そして阪南町へ合併した。 |
| 尚、山陰地方の鳥取市付近は、天湯河板挙命がコウノ鳥を捕らえた所と考えられる。 |
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| 『鳥取物語』の鳥取社は波太神社の中にある。 |
| 南海本線尾崎駅下車、東方へ約2km、バスあり。 |
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