金太郎ヤーイ
昔むかしのことであった。
黒田の部落から浜辺の新村(しむら)の部落まではくねくねと野道が続き、それはそれは寂しいところであった。
現在では、共に阪南町になり、それなりに周辺の風景も町らしくなり、昔の面影をとどめているものといえば、わずかに、黒田の墓場だけといってもいい有様である。ただし、現在では新たに使用することはない。
その昔は、すべてこの墓場に深い穴を掘って土葬したものであるが、今では、そんなことをする人がいないので、ただ昔の遺物となっている。
以前、何かの話にも書いたが、泉州地方では、墓場のことを『三昧(さんまい、あるいは、ざんまい)』という。泉州に限らず、日本各地で『三昧』というところがあるらしい。
三昧とは仏法用語であり、非常に深い意味があるが、ごく簡単に言えば、『悟り』ということになろうか。
つまり、亡くなった人が悟りを開いて成仏するように、との願いからつけられたものであろう。
また、ヒンドゥー語では墓所という意味もあるらしい。
さて、その墓地は黒田と新村のほぼ中間にあり、大木が鬱蒼(うっそう)と茂り、昼なお暗い薄気味悪いところであった。
このすぐ側を、黒田と新村を結ぶ街道が通っているのであるが、夕方ともなると、気味悪がって、この場へ近寄る人はまれである。とはいうものの、ほかの通路はないから、急用ができた場合には、この道を通るしかないのであった。
それでも、何も起きなければ、人間の恐怖心が生んだ化け物ということになるが、実際に襲われて、金品を奪われたり、悪くすると、殺されたりもしているのである。
今日も、黒田の会所に集まった人たちは一様に困り顔で、そのことについて話し合うのだった。
「何と難儀なこっちゃの。三昧ででるお化けて、一体、何やろの」
「ひょっとしたくらいなら、成仏(じょうぶつ)の出来てない亡霊ちやうやろか」
「まさかよ。亡霊は金みたいなもん取っても、しゃあないやんけ。どうなら、ひとつ、化けもん退治してこまそと言う若い元気者はいてへんか。わしが、もうちっと若かったらな」
と、言ったのは、年寄り株の勘五郎であった。
それに応えて、元気よく言ったのは、金太郎という若者である。
「よっしゃ。ほんならウラ(私)行こやんか。ほやけど、ただやったら、イヤやでえ」
さっきは、あんなに皆を扇動した勘五郎であったが、手を上げたのが金太郎だったので、たちまち態度が変ってしまった。
「金公よ、無茶言いないな。お前とこのオカン(母)病気やろわ。何ぼなんでも、病気の親に心配かけるもんやない。なんせ、殺されてしまうかもしれんねんからな」
「さいな。そやさかい、ウラに行かしてほしいんや。実はな、恥を言うようやけど、オカンの薬代に困ってんのやがな。ほんでこの際、おまはんらからごっそり礼金が貰えたらな、と考えたんや。ウラにもしもの事があっても、弟の銀二郎がいてるさかい、オカンの世話はしてくれるやろ。ほんで、もちろんオカンには内緒にしときたいんや。無理言うて、すまんけど、ほないなわけで、よろし頼んまっさ」
と、内情を打ち明ける金太郎に、居合わせた人たちはおおむね同情的だった。
「そうやったんかえ。そら気の毒やな。よっしゃ。まかしとき。せえいっぱい、餞別(せんべつ)弾(はず)んだろやんか」
「そやけど金公、くれぐれも命は粗末にするんやないで。なんていうても、親より先に死ぬのは最大の不幸やさかいな」
二、三人の若者たちは同行を言い出した。
「ほんならウラも行くわ。金やん一人やと、心もとないさかいな」
しかし、その申し出を、金太郎は自信あり気(げ)に断った。
「せっかくやけど、今度だけはウラに任せてんか。そやないと、せっかくもろた餞別も、ウラ一人でもらうわけにはいかんやんけ。なあにゃ、むざむざと殺されんように、よう気付けるさかい安心してんか」
金太郎という若者は、村一番の力持ちであり、すばらしく知恵もあったので、何か目論見(もくろみ)があったのかもしれない。
また、親孝行でも有名で、長い病(やまい)の床についている母の世話を、金太郎と銀二郎の兄弟で力を合わせてしているのであった。しかし、母の病は好転せず、「もっと高価な薬を与えれば、治るかもしれない」と、医者は言うのである。
それで、何とかして、母によい薬を与えたいものと考えている矢先であった。
さて、皆から差し出された大金を持ち帰った金太郎は、銀二郎にこのいきさつを話し、「ことによると、ウラは死ぬかもしれんのや。その時は、オカンのことはくれぐれも頼んどくぞ」と、後事を託すのであった。
兄の決意を知らされた銀二郎は、一瞬ためらったが、“この場はこうするしか仕方あるまい。いや、兄貴のことやで、何かいい考えでもあるんやろ”と納得して、母には黙っておくことも了承した。
そして、明くる日の夕方、研ぎ澄ました鎌を二丁、腰にぶち込んで、金太郎は密かに家を出て、三昧へ向かった。
三昧は、昼間でも決して気持ちのいい所ではない。まして、秋の夕暮れ時ともなると、更に気持ち悪く、いつお化けが出ても不思議ではない雰囲気になる。
金太郎は、ひときわ高い松ノ木へよじ登り、辺(あた)りに目を凝(こ)らしていた。
とはいうものの、秋の陽はすでに落ち、昼間でも薄暗いところが更に暗くなり、見通しが利かなくなっていた。
ただ、高い木の上では、わずかに明かりが残っていた。
聞こえるものは、どこで鳴いているのか分からない無気味なフクロウの声と、木の梢(こずえ)を震わす松風の音だけである。
金太郎は、その無気味さにもじっと耐え、化け物の正体やいかにと、暗がりにじっと目を凝らしていた。
どれほど経ったことか、無気味さにも慣れた金太郎はどうやら木の上で居眠りしていたらしい。
が、不思議な音を耳にして、ハッと我に返ったのである。
「カンカン、ジャラジャラ、ジャンジャン、チンチン」というような賑(にぎ)やかというか、騒々しいというか、それでいて、何か陰鬱(いんうつ)な音である。
つまり、これは葬式に使用する鐘や銅鑼(どら)や、鈴(りん)の音ではないか。──はて、妙やで。……今時分、そうれん(葬式)とはな?
昔の葬式は、所によって、火葬にしたり土葬にしたりまちまちであったが、黒田ではすべて土葬であった。霊柩車などない当時のことである。丸い座棺、つまり、棺おけに死人を座らせて、前後から担いでいくのであった。
位牌を捧げ持った喪主を先頭に、旗指物(さしもの)や幟(のぼり)などをはためかし、村中の人がぞろぞろと後に従って延々と三昧まで歩いていくのである。
いわゆる、『野辺(のべ)の送り』というものである。
そして、それはたいてい、昼過ぎに行うというのが慣わしである。
しかるに、この真夜中に野辺の送りをするとは、どうも納得がいかない金太郎であった。
“一体、これは何事ならよ。こないな夜中にそうれん(葬式)するてな。変わったことする家もあったもんやぜ”
と、考えながら、金太郎は、提灯(ちょうちん)の明かりでぼんやりと浮かび上がる葬列が、ゆっくりゆっくりと近づいてくるのを見つめていた。
そのうち、聞きなれた声がしてきたのである。
それは、金太郎の身を案じ、励ましてもくれた勘五郎の声であった。
最初のうちは、よく聞き取れなかったのだが、何度も聞いているうちに、こう叫んでいるのが分かった。
「金太郎ヤーイ、お前のオカンは死んだぞー。これは、オカンのそうれんや。お前は喪主やろが。早よ、降りてこんかえ」
“そうやったんか。オカンのそうれんやったんか。……ほなら、早よ行かななるまいな”
と、金太郎は木から下りかけたが、考え直した。
“けど、待てよ。オカンは病気や言うても、今日明日にどうこうなる重病人やなかったはずやし、第一、こないな夜中にそうれんするハズあらへん。それにやな、ウラ家から出てきてから、ものの二刻(ふたとき・四時間)か三刻(六時間)ほどしか経ってないはずや”
その間にも、勘五郎の叫び声が続き、段々大きくなっていった。
「金太郎よ、早よ下りてこんかえ。この不幸もんが……、われ、なに考えてけつかんのや。この大事な時に、化けもん退治どこやあろまいが」
やがて、勘五郎は、金太郎が登っている松の木の下までやってきた。
ここで初めて、金太郎は質問したのである。
「そやけどな、おっさん。ウラとこのオカンは急に死ぬような病人やあらへんはずやけど……、それに、こないな夜中にそうれんするて、おっかしやんか」
この質問には、勘五郎はちょっと困ったようであったが、
「実はな、お前のオカン、お前が化けもん退治に行ったことを知ってからに、えらい、せえ(精)落としてよ。急に容態が変ったんやがな。それにな、夜中にそうれんしてくれと言うのは、オカンの遺言やでな」
と、勘五郎は苦しい言い訳をしている。
そんな変な遺言があるわけがない。こいつは化けもんに違いない、と金太郎は思った。
しかし、化けもん退治をするには遠すぎる。もう少し近づけさせねばと、
「おっさん、そうやったんかいな。ほんなら、早よ行かんならんな。けどよ、ウラここまで上がったもんの、下見たら、ビビッてしもうてからに、よう下りへんのや。おっさん、何とかしてえな」
と、言った。
「そんなら、わし、下ろしたるさかい待っていや」
と、勘五郎の声は喜びに弾んでいるようだった。
そして、勘五郎はゆっくりと登ってくる。
一方、金太郎は鎌を持って待ち構えていたが、万が一、本物の勘五郎だったら、人殺しになってしまう、と怖れ、ためらう心も生じていた。しかし、一瞬の機会を逃したら、たぶん、自分が殺されてしまうだろう。
自分の感覚を信じよう。間違いなく、あいつは化けもんや、と金太郎は決心を固めた。
その時は、刻々と近づいてくる。
十分引き付けて、手の届きそうなところまで来た勘五郎めがけて、金太郎は、鎌を続けさまに二本叩きつけた。
と、ギャアーという、なんともいえぬ悲鳴が起こり、何者かがドサリと地上に落ちた。
それと同時に、あれほど賑(にぎ)やかに聞こえていた鐘や銅鑼の音がぴたりと止んで、葬列も消え失せて、元の静かな闇夜になった。
地上に下りたかったが、仲間がいるかもしれないと、金太郎は、木の上で一夜を過ごしたのである。
そして、夜が明けて、「金太郎ヤーイ、金太郎ヤーイ」と、村人たちの声が聞こえてきた。
今度こそ、本物である。
金太郎は、松ノ木を下りた。そして、その根元に、鎌を二本ぶち込まれた大きな動物が倒れているのを見た。
昨夜退治した化け物というのは、大きな黒猫だった。
これ以来、このあたりでは化け物騒ぎがなくなったとの事である。
また、金太郎たちの母は、村人たちの善意の金で買われた、高価な薬のお蔭で健康を取り戻すことが出来た、との事である。